「勉強なんて簡単だ。お前の好きなスポーツに例えてみろ」と言われても納得できない理由

「勉強なんて簡単だ。お前の好きなスポーツに例えてみろ」と言われても納得できない理由

こんにちは。坂口友亮です。

今日は「勉強に興味がない学生に『お前の得意なスポーツで例えてみろ』とハッパをかけてくる人がいるけど、それで納得できる人は一人もいないよね」という話をします。

よく「スポーツに例えてみろ」とか「ゲームに例えてみろ」とか言う人がいますけど、本当にできると思ってるのかな?と純粋に疑問です。

いや、わかりますよ。

「自分が得意なことをやる時のように取り組んでほしい」

「ゲーム感覚で楽しんでやってほしい」

ってことだと思うんです。

でも、そう言われて「なるほど!そうやって考えてみると勉強も案外楽しいかも」って納得できる人は一人もいないと思うんです。

「いや、勉強は勉強、スポーツはスポーツやろ」ってツッコミが入って、よけい勉強との距離ができるだけです。

なんでこんなことになるのか?と考えた時に、これって求めてることが「高度な抽象化」なんですね。

つまり「勉強をスポーツに例えてみろ」という人は、

スポーツが好きな理由や感情を抜き出す

それをまったく興味がない勉強にも当てはまるレベルにまで抽象化する

「なるほどー勉強おもしろい!」となる

そういうことを求めてるんです。

例えば、僕はブラジリアン柔術が好きですけど、英語にはあまり興味がありません。


ブラジリアン柔術家の橋本知之選手のファンです

そんな僕が「英語なんて簡単だ。お前の好きなブラジリアン柔術に例えてみろ!」と言われたとすると、

(えーと、ブラジリアン柔術を好きな理由は…テクニックがロジカルで、やり込み要素が強いところだから…英語もロジカルに理解して、やり込んでいける部分を探そう!)

と考えてみますが、無理ですね。こじつけがすごい。

さらにこれ、英語に対しても失礼です。

役に立つ、役にたたないとかいうレベルの話ではなく、英語を学ぶことって純粋に楽しいと思うんですよ。

なので、それを無理やり別のものに置き換える必要なんてないし、置き換えると英語の楽しさからはどんどん離れていってしまいます。

そもそも、人が勉強に自発的に取り組むのは「必要にせまられる」「興味がある」この2つしかありません。

そして、どちらも内発的なものなので、周りの人間にどうこうできる問題ではない。

なので、下手にモチベーションを高めようとするよりは「黙ってやれ」と言う方がマシだと思います。

まぁ、そういう人の話を聞こうとは思いませんが…。

全く興味のなかった科目「地理」を好きになった話

僕が勉強を好きになったきっかけは、大学受験のために通っていた予備校の授業でした。

予備校の講師ってプロなんですよね。

何のプロかと言うと「人の集中力には限界がある」「興味や好奇心がないと人は動かない」とした上で、集中力を切らせず、受験に必要な知識に興味を持たせるプロなんですよ。

通っていた予備校に「90分授業のうち半分は全然関係ない話」という地理の講師がいました(※マジです)。

その講師の授業のおかげで、僕はそれまで全く興味のなかった地理が好きになって、成績もめちゃくちゃ上がりました。

センター試験の地理の本質って「一見難しそうな問題に見えるけど、よくよく考えると習った知識の組み合わせで正解にたどり着ける」なんですよ。

でも、最初から「世界の国の人口を暗記しろ」と言われても、おそらく地理に興味持てていなかったし、本質的なところまでたどり着いていなかったと思います。

あなたの子供のころを思い出してほしいんですけど、好きな先生の教科を好きになって、嫌いな先生の教科を嫌いになりませんでしたか?

「先生が好きか嫌いか」は教科の内容に1ミリも関係ないんですけど、人の興味なんてそんなもんです。

なので、教える側の人は、本当に勉強を好きになってほしいなら、下手にモチベーションをあげようとするんじゃなく、まずは勉強に関係ない面白い話をする。

そして「お前の好きなものに例えてみろ」と言われた人は、すごく高度な抽象化を求められてるんだな、と思い出してください(無理なんだけど)。

今日のところは以上です。